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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2013年05月13日

南三陸ノート。







気仙沼から仙台へ帰る
道すがら、南三陸町を通りました。




映像では何度も見ていた
鉄骨だけ残った防災庁舎跡を
訪れました。








いやもう、ただただ
言葉を失くしました。
陸前高田に行ったときと
おんなじ気持ちになりました。



荒野の中にポツンと残る
骨組みだけになった建物に
海からの強い風が吹きつけては
はずれかかった鉄骨が
ガラーンガラーンと不規則な音を立てる。
寂しげに荒野に響くその音が
今でも耳から離れません。




◆◇◆◇




沿岸部の町には半紙を縁起物に
切り抜いて神棚に飾る「きりこ」という
文化があります。


それを大きなプラスチックの板で
再現し、もともと商店街があった
場所に店主の想いや復興への決意を
表現したサインボードとして家々の跡地に
立てられていました。












もとの街並みが分からない私にとっては
失礼ながらも「荒野」と表現してしまった
その風景に、この「きりこボード」が掲げられることで
その場所が途端に意味をもつ場所
命を吹き込まれた場所になりました。
コチラのサイトに、他の家々のきりこボードが
ていねいに掲載されていたのでリンクさせて
いただきます。



◆◇◆◇



その後
南三陸町さんさん商店街
という仮設商店街へ。





ホントは「きらきら丼」っていう
海鮮丼を食べたかったんだけど
おなかいっぱいで食べられず。
仙台から意外と近かったから
今度はぜったい食べに行くよー!





::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::





「百聞は一見に如かず」

今回、気仙沼から南三陸へと旅をして
何度も頭をよぎったことば。
やっぱり実際に見聞きしないとわからないことって
たーっくさんあるんだな。
この旅で、見て聴いて感じたことはトクトクと
私の体に沁み込んでいると
そう思える旅でした。










  


Posted by みさき at 07:05震災、心の風景。

2013年05月09日

気仙沼ノート 2冊目。






気仙沼2日目の朝は6時起床。


早起きして
港でセリを見に行きました。
そこで見たものは・・・




*このヒレをアレするワケね。


サメ~!!!

じぇじぇじぇ~!





見渡す限りのサメちゃん。
さすが、フカヒレの町気仙沼。
軽く500匹くらい水揚げされていたでしょうか。
しかも、どれもデカい。




*こういうの苦手なひと、ゴメンしてけろー。




以前、ばあちゃんから
『気仙沼にいたころは、水産加工の親戚の家の二階は
広い広い部屋になっていて、そこにズラーっと
フカヒレが干されていたよ』ってハナシ聞いてました。
このサメ群を見るとなんとなく想像できた、ウン。




港内を案内してくれたかたも
奇遇なことに、昨日会ってきた親戚と
震災後一緒のところに住んでいたようで
朝からいろいろビックリです。



そんなご縁もあり、せっかくなのでと
気仙沼案内をしてくれて
「第18共徳丸」
連れて行ってくれました。







この船。
新聞やテレビでは
何度となく見ていましたが
ホンモノを見るとその迫力
物言わぬ威圧感に圧倒されました。



震災遺構として残すかどうか
再三の議論の末、この4月から
解体されることが決定したようです。
船の持ち主の方、遺族の方、地域の方、行政など
複雑に絡んだ末の決断ですから
部外者の私には何も言う権利はありません。



*ちゃんと手を合わせて拝みました。




*船の下にはいまだに自動車がつぶされたまま。



しかし、震災を経験しなかった私にも
一目見ただけでこの船は震災の恐ろしさを
雄弁に語ってくれていたのは事実です。
100の言葉よりも1艇の船でありました。





◆◇◆◇



さてその後は、山側にあるお墓参りです。
ここでも親戚がナビゲートしてくれて
林道細道くぐりぬけたところにある墓地へ。


その後、とある小学校に行くことに。
実は、おっぴさん(曾祖父)が校歌を
作詞した小学校があって
そこが再来年で廃校になるから
ぜひ最後に見てってほしいという話になり
急きょ校長先生に連絡を入れてくれて
行くことになりました。




*全校生徒14人ですって。




もう、「鶴瓶の家族に乾杯」みたいな流れですよ。
即興で人と人がつながっていく、みたいな。





*校長室でお茶をいただきながら小学校の歴史を振り返りました。




おっぴじいちゃんは
私が1歳のときに亡くなったので
記憶はありません。
だけど、ほんのりと対面できたような
そんな感覚になりました。



◆◇◆◇



あっという間の気仙沼の旅。
親戚に会って分かったこと
つらつらと。


ここは、大きな港町だからでしょうか。


遠洋漁業で半年間、一年間と
外国にいて、視線の先には外国を
見据えているからでしょうか。
外からの人に対する懐が
大きいところがあると思います。


また、男たち不在の家を守る
女性たちは力強く、しっかりと気丈です。
そして、もてなし度がハンパないです。


そんな血の一滴が
私にも流れているとおもうと
うれしくなります。ほこらしくおもいます。



また気仙沼にはぜったい行きたい。
そして、行ったことない人にも
行ってもらいたい。


ってなわけで
矢野顕子さん書き下ろしの
「気仙沼においでよ」を聞いてみてね。






気仙沼においでよ

作曲 矢野顕子
作詞 矢野顕子+糸井重里


気仙沼に おいでよ
気仙沼で 待ってるよ
晴れても 曇っても 雨でも
みんな おいでよ
いつでもいいよ

気仙沼は 海の町
気仙沼は 人の町
じじばばも おとなも 赤ちゃんも
みんな 元気さ
ぴちぴちなんだ。

  かなしいこと つらいこと
  山盛りあるなら
  たのしいこと うれしいこと
  その倍は あるのだ

気仙沼で 会おうよ
気仙沼で 笑おうよ
海ねこ 犬ねこ 魚のこ
みんな おいでよ
ともだちだもの

みんなおいでよ
いつでもおいで





  


Posted by みさき at 07:23震災、心の風景。

2013年05月07日

気仙沼ノート 1冊目。






4月だというのに
雪が降り積もったある日の仙台。
ノーマルタイヤなので
ビクビクしつつ、ばあちゃんの
生まれ故郷である、「気仙沼」へ行ってきました。




*春の雪も美しかった。



行くまではざっくりと
「海の町・遠い町」っていうくらいの
イメージしかなかったんだけど
親戚の皆さんに会っていくうちに
どんどん距離が近づいた。



それに
血のつながりのある方々の
優しさに触れて、いろんなことを感じて
満たされていく気持ちになって
何から書いたらいいんだろうっていうくらい
溢れるものがありました。



◆◇◆◇



到着日は気仙沼の海側に暮らす
親戚のところへご挨拶に。



親戚から聞いた震災の話は
生々しく、心をえぐられるようで
涙をこらえながら聞きました。


淡々と語る。
ひょうひょうと語る。
息せき切って語る。
それぞれの境地から発せられることば。


震災から2年が経ち
何十回も語ってきたであろう、被災の話。
語りつくしてきただけに
言葉は研ぎ澄まされて
一層胸に刺さりました。


◆◇◆◇



さて、この日泊まったのは
「ホテル観洋」






高台に建ってるのに加えて
角部屋だったので
ホンっとにいい眺め~。
気仙沼港と大島を一望しながらのホテルステイ!
耳を澄ませば海の音が聞こえてきそうな
宮城のリゾート地ですね。



*この後からもさらに料理が運ばれてきました。



食事も気仙沼ならではの
海産物がふんだんに使われて
素材の味が生きておいしかったし
接客も、想像以上に(失礼!)スマートな対応で
ビックリでした。







復興商店街も町にできていて
商売はもちろん、井戸端会議にも
大活躍のようです。










  


Posted by みさき at 07:14震災、心の風景。

2012年06月30日

おとどけしました。






沖縄県読谷村にあった
焼き菓子屋の「そべらぼ」さん。
一週間の疲れを癒してくれる
お気に入りの店でした。 




ザンネンながら昨年末に閉店してしまったのですが
まだお店があった頃、店内に東日本大震災の
募金箱を設置してくださっていました。 
その後、その募金を預かり
被災地へ贈り物を届けてきました。  






その名も・・・
「君に届け、そべら募金!」
ムムムン、ナイスなネーミングですな。





何を届けようか
悩んだんだけど、ときは梅雨。
仮設住宅では布団を干す場所も
ままならないかなと思って布団乾燥機にしました。 




届けた場所は、
我がまち宮城野区の
海沿いにある、津波復興センター。


 

*センター本部の外観。



このセンターを通じて
去年の秋沖縄からきた友達と
ボランティアをしました。








当時ボランティアをした家です。
1階部分に津波が浸水したため
壁という壁をすべてはがす手伝いをしました。
きっと今頃はきれいに壁ができていることを
祈るばかりです。




◆収支のご報告◆
募金額 5,762円
購入額 5,770円




ほぼほぼピッタリの額の
乾燥機が見つかったので
ちょっと嬉しくなっちゃいました。



そべらぼさん
またそのお客さん
善意をありがとうございました。



~~~~~~~~~~~~



※そべらぼブログでの
ご報告はコチラ→



※乾燥機1点のみの寄付となりますが
抽選大会などを開催して
仮設住宅の方へ届けてくれるそうです。

  


Posted by みさき at 07:26震災、心の風景。

2011年12月26日

被災地へ届く、やちむん⑦


*島へ。



不定期で続けている
沖縄の陶器「やちむん」を被災地へ
届ける活動に今回は沖縄県読谷村の
工房十鶴さんのご協力をいただきました。
※十鶴さん、ありがとうございました!
※十鶴さんの作品はコチラ→



今回は、塩竈市の離島
浦戸諸島にある「桂島」へ。



前日までは雪が降り
寒さを覚悟していきましたが
当日は、ご覧の通りの快晴!



桂島出身の父の友人をつてに
島へ向かいましたが
連絡船で行く予定が、なんと
その友人の方がモータージェットを
出してくれて、自家用ジェットで
島へ。




*船に乗る、やちむん。



塩竈から約10分で到着し
早速、区長さんの軽トラに乗って
旧浦戸二小にある仮設住宅へ。




*仮設ができたから、何とか暮らしていっがらやー、って言ってました。



私たちが来た頃は
皆さん出かけていたので
いらっしゃる方にお声掛けして
写真を撮らせてもらいました。
そして、器は後日お渡しいただくことに。








新年を
新しい器でお迎えください。
という想いをこめてお渡ししてきました。
皆さん「沖縄~?」って目を真ん丸にして
喜んでいただきました。




◆◇◆◇◆◇






*集落から家が消えていました。




浦戸諸島が防波堤になり
松島や塩竈が最低限の被害で
食い止められた、と言われています。
以前「桂島は津波が島を横断して行ったんだよ」って
聴いたことがあり、その現場を見せてもらいました。



本当に、
島を東から西へ
通過した跡が残っていました。





*父、友人宅よりオーシャンビューを眺める。




・島の人たちは全員避難し犠牲者がゼロだったこと。
・お風呂は自衛隊のホバークラフトに乗って金華山近くに
 停泊していた自衛隊の船で入浴し、洗濯物を自衛隊に
 預けるとお風呂に入っている間に洗たくが仕上がっていたこと。
・1日3回、ヘリコプターが食糧を投下してくれていたこと。




島内にある父の友人宅へ移動して
そんな、震災時の話を伺いました。
島の人たちは家族のような存在だから
今回の窮状を乗り越えられたと
お話からうかがい知ることができました。



◇◆◇◆◇




沖縄という「島」から宮城県の「島」へ
やちむんが旅をしました。
そして、また新たにやちむんを手に取った方から
「やちむんのある新しい暮らし」がはじまります。



お土産に、と
今年の新モノの海苔
牡蠣工場に立ち寄り
採れたての牡蠣をいただきました。
かえって申し訳なかったですが
島ってやっぱりいいなぁって
沖縄暮らしを思い出しました。




*いただいた牡蠣を早速、焼き牡蠣に。



★工房十鶴さん★
貴重な器を沢山、本当にありがとうございました。
島の方々へは十鶴さんご紹介の手紙も
お渡ししておきました。

          


Posted by みさき at 07:28震災、心の風景。

2011年10月25日

沖縄から、埼玉から。

 
*震災2週間後の風景です。



10月上旬に、被災地復興の
ボランティア活動へ
沖縄と埼玉から来た友人とともに
参加してきました。


毎日、他県から多くの方々が
ボランティアに参加して
いただいているのを前に
たった1回ボランティアに参加した
だけで、堂々とブログに書くのも
はばかれる思いでいました。



しかし、少しでも情報を
知りたいという方が
いらっしゃいましたので
参加を迷っている方の
手助けになればと思い
私が参加してきた
ボランティア活動について
記録しておきます。



 
*コレも震災2週間後の風景です。




私たちが参加してきたのが
私の暮らす、仙台市宮城野区の沿岸部にある
岡田という集落にある「仙台津波復興支援センター」


6名くらいが1グループになり
被災した方のお手伝いに伺いました。


私たちのグループの仕事は
津波で浸水した家の
男性陣は土壁をはがし、
女性陣は石膏と土とわらに分けて
土嚢に詰めて畑に運ぶという仕事。


はがした土壁の部分は
今後、大工さんによって
新しい壁が貼られることになります。


完全な復旧は来年の
夏になるということでしたが
どの農家よりも早く農作業を開始して
見本になるんだと、家主の方が
おっしゃっていました。


仙台のボランティアセンターは
閉鎖されているところも多いので
もしも、ボランティアをしてみたい
という方がいらっしゃいましたら
仙台駅からバスも出ていますので
こちらを利用してみてください。  


Posted by みさき at 07:28震災、心の風景。

2011年09月16日

被災地へ届く「やちむん」⑥。

 
*今回お届けした器の一部。



私の祖母は、宮城県気仙沼市の人で
岩手県陸前高田市の学校を出て
10代までを、三陸で暮らしました。


震災を経て、祖母としては三陸の方へ
何かしてあげたいけど高齢のため
何もできないという葛藤を
抱えていたようです。


そこで、今回沖縄から頂戴した器をみて
岩手県大船渡市に暮らす祖母の親友チエコさんへ
届けてくれないだろうか、とお願いがあり
ガッテン承知と、お届けに伺いました。






















*この写真は大船渡市です。



宮城県から車で2時間半。
霧が立ち込める山と峠をいくつも越えて
陸前高田市を通り、大船渡市へ
到着しました。


途中、陸前高田市の惨状に
大変驚きました。


え?ここは山の中でしょ?と
いう場所の、海の「う」の字も無いような
陸前高田の里山にまで津波がのぼってきていて
その威力のすごさが刻みつけられていました。

 


*何も無い中で作ってくれたことが嬉しくて、おこわ2皿食べました。



さて、チエコさん宅に到着すると
「この辺の店はどこも開いてないがら、
ありあわせのものしか出せないけっども」
と言って、栗のおこわ(絶品)と
自家製ニラの味噌汁と漬物(これまた絶品)と
「*終わり初ものだから食べてってね」とおいしい
とうきびをごちそうになりました。
*終わり初もの=出回る時期が終わった野菜の最後の収穫物を初ものと同じように珍重すること。



仙台から私たちが来ることや
沖縄からやちむんが来ることを
「ずーっとワクワクしてたんだがらー」と
とても楽しみにしていたという
チエコさんは、震災前まで
陶芸を趣味に公民館で習っていたそうです。
今回は、陶芸仲間の方々も一緒に
やちむんのお披露目会です。





 

箱からやちむんを取り出すやいなや
ワァっと、お互いの声も聞きとれないほど
大歓声があがりました。





自由でのびのびとしたやちむんに
「想像力がかき立てられて、楽しい!」
と、手にとってみては握ってみたり
掌に包んでみたり、裏返したり
やちむんやガラスを愛でていました。
あまりに悲惨な風景を見聞きしすぎた心に
沁みこんでくるようだとおっしゃっていました。



「津波は3回目。でも、今まででいちばんひどかったよ」




チエコさんの家は30メートル前まで
津波が来たのですが、流れが変わったため
危機一髪助かったそうです。
それでもお姉さん方のご親族12名の方が
亡くなったそうです。



*がれきの中にも秋が来る。



震災という悲しい出来事が
きっかけとなってしまいましたが
祖母のルーツを訪ねながら
新たなご縁での出会いに恵ました。


チエコさんは大船渡に暮らす
もう一人のおばあちゃんだと感じます。
そして、私の中にも三陸の血が流れていることを
再認識し新たなアイデンティティの発見もできました。




◇◆◇◆



最後になりましたが
今回、器をご提供いただきました


・陶房 火風水さん
・工房 彩砂さん
・小泊 良さん


各工房の皆様、改めて御礼申し上げます。



  


Posted by みさき at 11:14震災、心の風景。

2011年09月15日

被災地へ届く「やちむん」⑤。

 
*鮮やかなブルーと、味のあるフォルムにうっとり。



今まで、やちむんや琉球ガラスを被災地の方へ届けようと
宮城県七ヶ浜町名取市、岩手県大槌町、釜石市の方に
お渡ししてきました。



今月、新たに段ボール2箱分の
素晴らしいやちむんと、ガラス作品の
ご提供をいただきました。



今回、頂戴したのは
3つの工房さんからです。



小泊良さん
トップ写真の美しい青色の器。
私自身も小泊さんの作品がとても気になりつつ
沖縄在住時には、手に取る機会がなかったので
この機会に、小泊さんの作品を拝見できて
嬉しかったです。



いーくーさん
いつもガラスの器をご提供いただいてます。
ガラス作品を見るとは特にお子さんからの
反応が良くて、オンナノコなんて
目を輝かせて喜んでくれます。


*一輪ざしや


*小皿やグラスなど、盛りだくさん!




陶房火風水さん。
いつもやちむんを集めてくださる中心となり
沖縄と私の橋渡しをして下さっている
奥平さんご夫妻が主宰されている陶房。
こんなに下さって、販売する分は間に合っているかしら?と
不安になるほど、献身的にご提供いただいてます。

*私も思わず欲しくなるような、素敵な作品の数々。







これら、約50個の器たちを抱えて
今回は、岩手県大船渡市に行ってきました。



その模様は次回、お届します。


取り急ぎ
各工房の皆様へ
感謝をこめて!  


Posted by みさき at 12:29震災、心の風景。

2011年09月11日

あれからの半年も、これからの半年も。

 
*日和山から、何もなくなった石巻市街地をのぞむ。



震災から半年が経ちました。
遅いのか早いのかわからないほど
不思議な時間の流れのなか
あれからの時間をすごしました。



まいにち、おびただしいほどに
溢れる、情報の洪水。
繰り返される映像。
TVから流れる現実は
現実のはずなのに
非現実のような風景で
そんななかで、なにかを
見失いそうになりながら
仙台に帰ってきました。


津波から生還した友達
原発の影響で家に帰れなくなった後輩
友人の一人一人に再会して
つらくとも明日を待つ姿を
見ることができました。


からだの芯を震わせながらも
ほほ笑む姿に、いきる強さを
感じました。



3.11
あのときに
感じた
想い、
空気、
風景、
痛み、
恐怖、
望郷、
安堵、
感謝。


わすれないことが
震災を体験しなかった
私のするべきこと。


◇◆◇◆



沖縄での職場の後輩と
おととい、Face Bookで
再会しました。


再会のメールの結びには
「再会できて、今日はいい日です。」
と書いてありました。


「今日はいい日です。」


なんてあたたかいことばだろうと
目頭があつくなりました。


3.11以降
こんな心のつながりが
愛おしくなりました。
「今日はいい日」だと
言えるように、
明日も生きて
これからの半年も
暮らしていきたいです。
  


Posted by みさき at 16:51震災、心の風景。

2011年08月18日

被災地へ届く「やちむん」④~琉球ガラス編~。






陶房 火風水さんのお手配で
琉球ガラス組合様から
琉球ガラスのアウトレットを
(・・・とはいっても、上等むん)
40個いただきました。



そのタイミングで沖縄の
ヤッケブースよりアキさんと
さっちゃんが、釜石市の友人と
炊き出しのボランティアをする
というのに便乗させてもらったので
琉球ガラスも携えて参加してきました。
なんと、女優の中山忍さんを中心にした
ミニミニ炊き出し隊です。
(『ガメラ』世代の私たちには、嬉しい❤)




釜石市鵜住居地区という場所の
保育園が津波に流されてしまい
決死の避難で逃れた園児たちへ
パンケーキや、流しそうめん、
遊具をプレゼントするという
ボランティアでした。
※詳しくはヤッケブースのブログもみてね。






今でこそ、こんなに牧歌的な風景に
園児の皆さんはいますが
その当時は、手に手を取りあい
泣きわめいたりもせず、黙々と
避難し、わずかなクラッカーで
一晩を過ごした彼ら。


今は、こういう風景の中にある集会所を
借りて、保育園を運営されてます。








*自己紹介をするヤッケのアキさんと、女優の中山忍さん。




完成形のパンケーキを
撮り逃してしまいましたが
食べはじめた途端に歓声が
あがってました。





   

人生初☆の流しそうめんを
楽しむ、園児の皆さん。



 


遊具で遊ぶ、園児の皆さん。
 



 



コドモと遊んだことが
あんまりないけど
こんなに素直で
恥ずかしがりやで
まっすぐな心をもつ
コドモに初めて会いました。



保育園での炊き出しを終えた後
釜石出身のユリさんの案内で
大槌町~釜石市の被災地を
巡ってきました。


仙台の津波被災地と違うと感じたのは
仙台は平野部が津波にさらわれており
「面」として、町がかっさらわれた様相です。
しかし、三陸の方は、海と山の間に
集落があるので、逃げるにも真後ろは山々という
シチュエーションで、逃げるに逃げられないだろう
という恐怖感がとてもありました。
うまく言い表せないけど。



*大槌町のシンボル。ひょっこりひょうたん島のモチーフになった島。




恥ずかしながら、
仙台生まれ仙台育ちなのに
生まれて初めて、「三陸の海」を
ゆっくりと眺めました。
初めての三陸がこんな機会に
見るということになったのは
ほんとに悔やむべきことです。



それだけあたりまえの存在として海があって
あたりまえのように三陸産の魚をたべていた日々。
ちゃんと意識していたらもっと
津波前の三陸の海について
きおくが残っていたはずだったのに。



津波が去って、5か月。
とても静かで、美しい海でしたが
その美しさが、逆に恐ろしさにも感じられて
海への畏怖の念を感じました。



琉球ガラスは、ユリさんのご実家(釜石市)
の地区にある仮設住宅の皆さんへ
お渡しいただきました。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



最後に、なりましたが。
◎陶房火風水さま
◎ガラスを集めて下さった琉球ガラス組合さま
◎各工房の皆さま
◎ヤッケブースの皆さま
今回のボランティアを企画された
◎中山忍さま、ユリさま、皆さま
本当ににありがとうございました。 



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  


Posted by みさき at 08:11震災、心の風景。

2011年07月28日

車1台、衣類少々。

 




















宮城県出身で
いまは福島に住んでいる
大学の後輩に会ってきた。



正確には福島に「住んでいた」
と言うべきなのだけど。
後輩が住んでいたのは福島県富岡町。
そう、福島第二原発のある町。



地震直後
後輩の暮らすアパートに
津波は来なかったものの
わらわらと避難して
結局それ以来帰れなくなって
しまったとのこと。


持ち出せたのは
車1台と、2~3日分の衣類だけ。
今はお子さんへの放射能の
心配があるので宮城の実家に
身を寄せている。


ちょうど沖縄の石垣島から
パインが届いた。
沖縄にダイビングに来たことがある
後輩も喜ぶだろうと渡してきました。
うちに帰って私もそのパインを食べたら
すごくジューシーで甘かった。





良かった。






この甘さに
ほんのすこしでも
救われることがあったら
うれしい。





うん、
うれしいな。
  


Posted by みさき at 20:10震災、心の風景。

2011年07月15日

石巻回顧録。















*唯一のケータイ写真は、ぼんやりとしか撮れませんでした。








石巻に暮らす
大学時代の同級生Kちゃんと再会してきました。


今は罹災証明があれば高速道路が無料なので、
それを使い三陸自動車道で約1時間。
待ち合わせは、石巻イオンにて。
このイオンも震災の時には非難所として
多くの方を救いました。
また、平日にも関わらず、駐車場は満車というぐらい
賑わってて今でも石巻の方を支えているようです。



震災があってから一番最後に連絡が取れたKちゃん。
実際に津波に飲み込まれて危機一髪、助かりました。



会いたかった!
やっと会えた!
そんな気持ちでハグで再会すると
何だか泣けてきました。



こうして、「あの」石巻で、Kちゃんと一緒に
普通にパスタを食べて
普通におしゃべりしているという何気ないことが
ありがたく幸せでした。


食事の後、津波で壊されてしまったKちゃんちを起点に
石巻を案内してもらいました。
宮城県で第2の大きさの都市がほぼ壊滅した情景は
コトバにならなかったし、写真を撮る気もわきませんでした。


焼け焦げた小学校の校舎からは
海水と火に迫られた光景が滲み出ており
街のメインストリートや運河は、皮肉にも海水を
街の隅々に至らせる道になってしまっていたそうです。


縮尺を縮めて考えると
きれいごとでは済まないことが
瓦礫の山のように溢れています。


でも、日和山という、高台にあがり
縮尺を広げて街を見渡していると
そんな街にも希望を感じられた瞬間がありました。
街中から、カンカンカンと造船所のような音が響いてました。



何かを・・・
解体する音なのか
造成する音なのか
運ぶ音なのか
分からないけれど
希望の槌音であってほしいと
感じました。



相変わらず、なんにもできなくて、
なんにもしていない私だけど、
石巻の風景をこの眼に焼き付けようと思いました。
  


Posted by みさき at 20:58震災、心の風景。

2011年07月05日

被災地へ届く「やちむん」③。

 
うりずんさんのブログより拝借しました。



やちむんを被災地の方へ届けようという
活動をしていたなかで、やちむんを差し上げた方の
中から、不揃いでもいいのでもう少しいただけたら…という
声をいただきました。



その声を聞き、早速、陶房火風水の奥平夫妻が
沖縄タイムスという新聞を通じて陶芸家の方々へ
呼びかけてくださいました。


早々にレスポンスがあったようで
また新しい出会いが生まれるかも
しれませんね。


本当にありがたいことです。

  


Posted by みさき at 20:39震災、心の風景。

2011年07月02日

被災地へ届く「やちむん」②。


*名取市閖上。現状。


先日、第一弾のご報告をしましたが
沖縄の陶器工房、ガラス工房から
お預かりしたやちむんとガラスを
すべてお渡ししました。
最後は、名取市閖上(ゆりあげ)の方と
岩手県大槌町の方のもとへ。



閖上の海の横にあるNさんの実家は。
子供の頃、私も母に連れられて
遊びに行った場所。
Nさんの計らいで、閖上に入ることができました。
(※地域住民の許可証があるグループのみ往来可能です)



日和山という、閖上を見渡せる場所に立ちました。
街並みは記憶の彼方になっていましたが
不思議なことに、Nさんと母による説明で
プール、防波堤、みるみるよみがえってきました。


Nさんの実家には弟さんご家族が
暮らしていましたが
Nさんの家は土台からすべて
津波にさらわれてしまいました。


幸いなことにご家族皆さん無事でした。
高校生の息子さんは津波の中
家から自転車で避難所まで逃げました。
足元に海水が来たら自転車を乗り捨てて
家々の庭や塀を乗り越えて。
高校生の娘さんは高台の上にいた友人に
助けてもらい、小学生の娘さんは授業が長引いていたため
助かりました。


「でも、あの家もあの家もあの家もあの家の方も
みんな亡くなってしまったよ」という言葉に
地域が一瞬で壊滅してしまった脅威を伺いました。










*閖上の日和山。仮設の鳥居が建ちました。





岩手県大槌町出身で現在は宮城県に暮らす
Hさんにもやちむんをお渡ししました。



こちらも弟さんが現在も大槌町で暮らしていらっしゃいます。
震災前には日本料理屋を開いていて、仙台へ来ることを
誘ったそうですが、自分ら若者が去ったら町が無くなると
いう思いで、大槌町に残ることにしたそうです。



こうして、沖縄から引っ越しの荷物に混ぜて
持ってきたやちむん、段ボール6箱はすべて
被災者の方々へお渡しすることができました。
私は、火風水さんからいただいたバトンを
被災者の方へ渡すだけという役割でした。
火風水さんはじめ、多くの工房の皆さんの
ご協力が、こうして静かなるやちむんリレーを
走らせてくれたんだと思います。
心より感謝申し上げます。



〜ご協力いただいた工房様~
・陶房 火風水
・陶房 眞喜屋
・工房 てぃ〜だ
・工房 綾
・工房 十鶴
・工房 彩砂(るり)


※「数や形がそろわなくてもいいからもっといただきたい」
という被災者の方からの声が届くほど、
小さくとも確かなやちむんの和が広がっています。
  


Posted by みさき at 00:11震災、心の風景。

2011年06月14日

被災地へ届く「やちむん」①。






「やちむん」というのは
沖縄のことばで「やきもの」を意味します。


沖縄という小さな小さな島は
数えきれないほどの
伝統工芸が根付き
今なお、進化し続けている場所です。


沖縄を発つ際に
お友達の陶器作家の「陶房 火風水」さんが
陶器作家の方々へお声がけしてくださり
段ボール6箱分の「やちむん」を託してくれました。



◎マカイ(茶碗)




◎そばちょこ




◎グラス、湯呑み。



◎銘々皿




◎大皿



〜ご協力いただいた工房〜
・陶房 火風水
・陶房 眞喜屋
・工房 てぃ〜だ
・工房 綾
・工房 十鶴
・工房 彩砂(るり)
◎心より感謝申し上げます◎


今回の震災について
火風水さんは我が事のように心を砕いてくださり
奔走してくださり、ご協力を賜りました。


そんな火風水さんで伺ったのですが
「やちむん」の歴史をたどると第二次世界大戦の
後がキーポイントになっているようです。


第二次世界大戦で沖縄は、日本で唯一の地上戦が
繰り広げられて、県民の4人に1人が亡くなりました。
焦土と化した沖縄で家に次いで必要となったのが
「器」だったそうです。そこで、当時の陶芸家の方々が
必死で器をつくり、沖縄の復興を支えたという歴史が
ありました。



それを、この震災になぞらえれば、
ある意味、空襲の後のように何もなくなってしまった
東日本沿岸部。
火風水さんは、先人の陶芸家の方々が行ったように
「器」を届けたい、そういう、こみ上げる想いを預けてくれました。




私の母の協力もあり
母の職場がある宮城県七ヶ浜町へと
届けに行って参りました。



沖縄の方のため説明しますと
七ヶ浜町というのは宮城県の沿岸部にあり
ちょうど、与勝半島のように海に向かって
半島状に突き出している場所です。
仙台市からも車で1時間足らずで行けるため
夏は、市民の海水浴場になり
外国人の方々も過ごす美しい町です。
ただし、小さな町なので、震災直後はあまり
目立った報道がなかったため
長らく、大変な生活をされていました。
※七ヶ浜町の公式HPはコチラ




やちむんを届けに行った頃
ちょうど仮設住宅が出来上がり
入居が始まっていたところだったので
わずか2〜3日で段ボール1箱分の
やちむんが貰われていったため
再度、今回訪れました。




*七ヶ浜中央公民館の方へ、たしかに届けました。(公民館の方をパチリ)



白い器はあるということでしたが
色のついた美しい皿というのが
なかったため、もらい手の方々も
大変喜んでらっしゃったそうです。
白い器があったにも関わらず
すぐにもらっていただけたということは
それほど、やちむんの魅力が
被災者の方を惹きつけたのではないかと
考えています。



 
*炊き出しがまだ続いていました。



同じ宮城県なのに、
私とは全然違う暮らしを強いられている姿に
申し訳なさを感じますが・・・



まだ、やちむんは段ボール3箱分あります。
必要とされている方へ届けられるように
したいと思っています。







炊き出しの食事が
少しでもおいしい食事になるために
やちむんを!



・・・を合言葉に、またお届けした際には
こちらのブログでご報告いたします。



*いつの日か、あたたかい食卓を囲めますように。

沖縄から受け取ったバトンを
被災地へ手渡すリレーを
静かに進めています。


※七ヶ浜町の被害状況を載せたHPがありました。※
沖縄の方々へもこの状況を伝えたく思い
誠に勝手ながらリンクを載せさせていただきました。
私もこの風景を見てきましたが、写真に収めることが
できなかったので、ぜひご覧いただければと思います。
http://takenote.xsrv.jp/shichigahama/shichigahama.html






いぎなりがんばっぺね、宮城県。

。。。追記。。。
たくさんのリツイートとフェイスブックの「いいね!」をいただき
多くの方へ広めてくださった皆さんにも感謝申し上げます。


アベ ミサキ。

  


Posted by みさき at 12:33震災、心の風景。