2013年05月09日

気仙沼ノート 2冊目。






気仙沼2日目の朝は6時起床。


早起きして
港でセリを見に行きました。
そこで見たものは・・・




*このヒレをアレするワケね。


サメ~!!!

じぇじぇじぇ~!





見渡す限りのサメちゃん。
さすが、フカヒレの町気仙沼。
軽く500匹くらい水揚げされていたでしょうか。
しかも、どれもデカい。




*こういうの苦手なひと、ゴメンしてけろー。




以前、ばあちゃんから
『気仙沼にいたころは、水産加工の親戚の家の二階は
広い広い部屋になっていて、そこにズラーっと
フカヒレが干されていたよ』ってハナシ聞いてました。
このサメ群を見るとなんとなく想像できた、ウン。




港内を案内してくれたかたも
奇遇なことに、昨日会ってきた親戚と
震災後一緒のところに住んでいたようで
朝からいろいろビックリです。



そんなご縁もあり、せっかくなのでと
気仙沼案内をしてくれて
「第18共徳丸」
連れて行ってくれました。







この船。
新聞やテレビでは
何度となく見ていましたが
ホンモノを見るとその迫力
物言わぬ威圧感に圧倒されました。



震災遺構として残すかどうか
再三の議論の末、この4月から
解体されることが決定したようです。
船の持ち主の方、遺族の方、地域の方、行政など
複雑に絡んだ末の決断ですから
部外者の私には何も言う権利はありません。



*ちゃんと手を合わせて拝みました。




*船の下にはいまだに自動車がつぶされたまま。



しかし、震災を経験しなかった私にも
一目見ただけでこの船は震災の恐ろしさを
雄弁に語ってくれていたのは事実です。
100の言葉よりも1艇の船でありました。





◆◇◆◇



さてその後は、山側にあるお墓参りです。
ここでも親戚がナビゲートしてくれて
林道細道くぐりぬけたところにある墓地へ。


その後、とある小学校に行くことに。
実は、おっぴさん(曾祖父)が校歌を
作詞した小学校があって
そこが再来年で廃校になるから
ぜひ最後に見てってほしいという話になり
急きょ校長先生に連絡を入れてくれて
行くことになりました。




*全校生徒14人ですって。




もう、「鶴瓶の家族に乾杯」みたいな流れですよ。
即興で人と人がつながっていく、みたいな。





*校長室でお茶をいただきながら小学校の歴史を振り返りました。




おっぴじいちゃんは
私が1歳のときに亡くなったので
記憶はありません。
だけど、ほんのりと対面できたような
そんな感覚になりました。



◆◇◆◇



あっという間の気仙沼の旅。
親戚に会って分かったこと
つらつらと。


ここは、大きな港町だからでしょうか。


遠洋漁業で半年間、一年間と
外国にいて、視線の先には外国を
見据えているからでしょうか。
外からの人に対する懐が
大きいところがあると思います。


また、男たち不在の家を守る
女性たちは力強く、しっかりと気丈です。
そして、もてなし度がハンパないです。


そんな血の一滴が
私にも流れているとおもうと
うれしくなります。ほこらしくおもいます。



また気仙沼にはぜったい行きたい。
そして、行ったことない人にも
行ってもらいたい。


ってなわけで
矢野顕子さん書き下ろしの
「気仙沼においでよ」を聞いてみてね。






気仙沼においでよ

作曲 矢野顕子
作詞 矢野顕子+糸井重里


気仙沼に おいでよ
気仙沼で 待ってるよ
晴れても 曇っても 雨でも
みんな おいでよ
いつでもいいよ

気仙沼は 海の町
気仙沼は 人の町
じじばばも おとなも 赤ちゃんも
みんな 元気さ
ぴちぴちなんだ。

  かなしいこと つらいこと
  山盛りあるなら
  たのしいこと うれしいこと
  その倍は あるのだ

気仙沼で 会おうよ
気仙沼で 笑おうよ
海ねこ 犬ねこ 魚のこ
みんな おいでよ
ともだちだもの

みんなおいでよ
いつでもおいで








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